「…外海君、でしたかな」 沈黙を破る声。 妃を値踏むような瞳で… 「実際君は政府の人間だ。仮に我が社が君の言う通り魔族を密売しているとして、それを捕える立場である筈の君がそんな事をすればただではすまんのではないかな」 「ばれなきゃいーのさ」 至極簡単な答え。 智さえ居なければその事実が漏れる可能性は限り無く少なくなる。 「言ったろ?魔族は俺の仇。仕事屋なんてしてんのはその方が魔族の情報を得やすいからだ。共存なんぞに興味はねーよ。それに折角のこのこ舞い込んできた魔族のガキだぜ?ここで金と交換するのが利口ってもんだろ? 俺にとっても、アンタらにとっても…」 この取引はあく迄一個人として“仕事屋”などは今無関係であると言ってみせる。 言葉の中に感じられる妃の魔へ対する確かな憎悪を悟った等々力は、その顔を“社長”から“密輸商”のそれへと変えた。 「話は解りました…外海君、君を信じよう」 「社長っしかし!…」 驚きの声を上げる傍らの秘書を静かな一瞥で制止すると、視線を智に移しその姿を見回した。 絶望の淵に立たされながらも、炎の色を携えた獣の瞳で見返してくるその魔族に、自然と口の端は上る。 「見た所、確かにその魔族は瞳以外完全な人間型…捜した所でそうそう見付ける事も出来まい。先方にも充分満足頂けるだろう。その上我々には今“表向き政府の人間”がついてくれている…」 妃が一枚かんでいるという事は、裏を返せば“政府にばれる可能性が更に低くなる”という事。 言葉を一度途切り榊に目を向けた。 「これは『ビジネス』だ。我々も利口に行こうじゃないか。なぁ 榊?」 社長の向けたその言葉の意味を正確な受け取った忠実な秘書は、それ以上抗議をする事なく、ただその口許に深く笑みを刻み頷いた。 等々力と妃のやり取りを静観していた部下の内、妃の右隣の壁に待機していた男が、等々力の投げ掛けた視線によりその場を動く。 そのまま、後ろ手を掴まれている智を半ば奪い取る形で妃から引き受けた。 力加減のない男の扱いに上げかけた智の声は、妃に契約書を進めてきた等々力の声に掻き消される。 木造の机の上に置かれたその契約書に一通り目を通し差し出されたペンを取ると、一度智に視線を向けた。 等々力の部下に捕えられ、これから自分が助ける筈だった仲間と同じ運命を辿るであろう絶望にただ俯く少年の姿。 視界の中にそれを捕え、しかしすぐに一枚の紙へと向き直る。 ペンを持つ左手にも、署名する動作にも何一つ躊躇いすら見せず書き込まれる名前… 虚ろな獣色の瞳は、ペンを置くその音を確かに聞き届け、静かに伏せられた。 閉じた視界に湧き上るのは、激しい激昂ではなく… 静かな ただ、静かな怒り… 繰り返される一言。 ― 何で… ? ― その疑問に、答えなど用意されて居ない事は知って居る。 この場に居る者には誰一人、この声は届かぬ事を知っている… それでも、守れなかった悔しさを… 踏み躙られた気持ちを ぶつける術がただ欲しくて… だから… 「これで、交渉成立だな」 響いた妃の声に、抑える事が出来なかった。 「何でだよ…」 絞りだすような囁き声に、訝し気に眉間を寄せ振り返る。そんな妃を睨み上げ声を荒げた。 「何で…オレ達は何もしてないのにっ『人間との抗争はしない。能力を持たない者への攻撃はしない』って条約守ってるのにっ!!」 自分達は何一つ罪など犯してはいない。 政府の決定した条約を、決して破る事なく… なのに目の前の、裏社会を牛耳るこの男はどうだ? その条約を逆手にとって『人間』を使って自分達を捕えている。もしも、もしも捕獲班 の中に能力者が居たなら。一度でも『力』によって自分達に害を与えたならば 正当防衛という手だって使えた筈なのに。 それでも 卑怯なのは相手と、解っていて尚手を出さなかった。 ただ、争う世界を望まなかった。 せんな自分達に対する仕打ち… 「何でこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!!?」 ただ 魔族というだけで…? 金持ちの道楽として、観賞用に生きるのが運命だというのだろうか…? 悔しさに渦巻く胸に、届いたのは静かな声。 ただ、一言の 「魔族だから、だろ?」 それに…涙に滲んだ視界で、声の主を捕える。 言葉は出ない。 涙さえ 息さえ止まりそうな衝撃。 「人間と魔族、昔っから敵対してた存在同士だ。現に今だってお前ら魔を受け入れない人間は山程居る。魔族に大事な人を奪われた奴がどれだけ居ると思う?」 妃のように…。 でもそれは、果たして人間側だけに言える事だろうか? 家族を仲間を…愛しい者を奪われたのは 自分達魔族も同じ筈なのに 何故世界は、魔族だけを忌むべき存在とするのか… それさえもこの世の理というのなら… (いっそ 全てを壊せば良かった…?) 俯き、勢いをなくす智 その姿を捕える瞳はただ冷たい嘲りの色 「共存協定を結んだ所で、魔族がこの世界で生きようとか…人間に助け求めるって自体が甘いんだよっ」 何かが… 確かに、自分の中で何かが弾けた気がした。 (等々力は人間…だけどっ) そうだ 妃は『能力者』 WIZORDだろうと政府だろうと… 今、この空間において、自分が唯一『攻撃出来る者』 智の瞳がゆっくりと妃を捕える しかし、その体で攻撃に出ようとした刹那 静かな部屋に響いた声と金属音に、それは遮られた。 「甘いのは 君の方だよ。外海君」 |